| 人口 | 27,148 |
人 |
| 面積 | 80.64 |
ku |
| 人口02年 面積99年調べ | ||
簸川郡斐川町 ひかわちょう
| 斐川町役場 | ||
| 斐川町商工会 | ||
出雲空港![]() |
運賃や時刻表だけでなく、観光情報やリンク集が充実しています。また出雲空港チャーター便計画等の案内が出雲空港国際化促進協議会にあります。 | |
| 斐川町観光ガイド | ||
○学校
| 小学校 中学校 簸川郡内の高等学校 | ||
○遺跡・史跡・自然・人物
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1984(昭和59)年に農道予定地の調査中に標高28mあまりの小さな尾根の南斜面から多数の銅剣が発見されました。その数は合計358本。整然と並び、刃を起こして密着した状態で出土しました。発見当時、全国で出土した銅剣の総数が約300本だったことから、一度に総出土数を上回る発見になりました。さらにその翌年には同じ斜面で銅鐸6個、銅矛16本が出土しました。銅剣は、長さ50cm前後、重さは500gあまりです。
現在は荒神谷史跡公園として整備され、発見された当時の様子を再現されています(左写真)。 |
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斐川町役場の際の「観光・交通」をクリックすると遺跡や史跡公園について、「国宝 荒神谷」ガイドブック、荒神谷遺跡の謎 ブックレットについての情報を見ることができます。 また、遺跡の概要や荒神谷ボランティアガイドの会についての情報は山陰遺跡ネットワーク会議で提供されています。 左の写真は現在史跡公園内にレプリカ(複製品)が展示されていますが、実物は国宝に指定されており、八雲立つ風土記の丘資料館(松江市)で見ることができます。 |
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高瀬城![]() |
高瀬城の築城がいつかは不明ですが、戦国時代には米原氏を城主とする山城でした。1571(元亀2)年に毛利軍の総攻撃によって落城しました。 高瀬城は尼子氏の本城月山富田城(広瀬町)の防衛網として出雲国中に配置された尼子十旗と言われた10の要砦(白鹿、三沢、三刀屋、赤穴、牛尾、高瀬、神西、熊野、真木、大西)の一つです。 |
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鳥居をくぐって正面に立虫神社。右手に万九千神社があります。万九千神社には本殿は無く、 旧暦の10月のことを |
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神在月の神事に関しては島根県古代文化センターの中にある出雲のお祭りにまとめられています。また神社については玄松子の記憶に詳しくまとめられています。 |
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(ついじまつホームページ) ![]() |
出雲平野に見られます。家屋を囲むように北と西側に松が植えられています。 築地松の効用は歴史的にみると、冬期の激しい西からの季節風を防ぐためであったり、斐伊川の しかし、近年は松くい虫の被害や築地松を |
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松くい虫被害の仕組みについては松くい虫被害の仕組みと対策(林野庁)が参考になります。また、マツとマツ枯れに関する質問と回答(森林総合研究所 四国支所)のサイト内にあります。その中にある「もっと知りたい方に」では松くい虫やマツ枯れについて解説しているサイトへのリンクがあります。 |
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| 大社基地跡 (新川基地) ![]() |
新川の跡地で、第2次世界大戦末の1945(昭和20)年3月から飛行場の建設工事がはじまりました。小中学生など地元の人々や兵隊、 基地建設の際に現在のJR山陰本線直江駅から引き込み線がありましたが、そこで使用されたレールは一畑電鉄一畑線のうち1944(昭和19)年に廃線になった、現在の一畑口(当時は小境灘)駅−一畑駅間約3.3kmのものではないかともいわれていますが、確かなことは解っていません。 |
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第2次世界大戦中の空港については滑走路探検隊やWar Birdsのサイト中にある戦前・戦中の飛行場データベースがあります。 参考文献『島根県斐川町の旧海軍基地と、山陰空襲の記録 』 お薦めの一冊に情報を載せてあります。他に『いま甦る、大社基地 山陰海軍航空隊』陰山慶一 1996 島根日日新聞社もあります。 |
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山陰空襲![]() |
7月28日には山陰一帯をおそう空襲があり、新川基地をはじめ玉湯町、安来市、大山口などで、多数の死傷者がでています。この時のアメリカ軍戦闘機の銃弾の跡は、今もかつての新川に架かっていた山陰本線の鉄橋(新川橋梁)に残っています。現在の道路の上のあたりに数カ所見ることができます。 |
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参考文献『島根県斐川町の旧海軍基地と、山陰空襲の記録 』 お薦めの一冊に情報を載せてあります。 |
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島根県内では、この伊波野一里塚のほかにも安来一里塚(安来市)、伊志見一里塚(宍道町)が現存しています。 |
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江戸時代の街道については島根県に関しては歴史の道の歴史の道とはの部分に街道の全体図が、旧街道めぐりのススメにある街道めぐり用語集に基本的な用語が説明されています。 |
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| 斐伊川 (詳しくは→出雲市) |
斐伊川は鳥取・島根県境に位置する中国山の船通山に源を発し、途中、三刀屋川や赤川等の支川を合わせながら北流し、出雲平野を東に流れ宍道湖に流入する75.2kmの一級河川です。 | ||
新川![]()
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斐伊川は全国でも有数の天井川です。江戸時代の1831(天保2)年、松江藩は度重なる水害を防ぐため、斐伊川下流域、現在の斐川町出西地区から分流し、宍道湖までのやく10kmをほぼ一直線に開削、堤防造りに着手しました。大勢が動員され2年後には完成しました。しかし、新川は幾多の洪水に耐えましたが天井川となり、1939(昭和14)年廃川となりました。 川の跡は現在、道路や宅地になっており、かつてその一部は戦前は海軍航空隊の大社基地にもなっていました。、国土地理院の地図を見ると約2m前後高い位置にあることが解ります。左の写真は新川があった頃に山陰本線が建設された鉄橋です。よく見るとその構造は川にかかっているものそのままです。 |
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出西岩樋の開削は、今から約300年前の1685( 斐伊川から岩樋を通って高瀬川へ下る舟のために400m上流からの岩海川と斐伊川の間に土手を築き、斐伊川流域の仁多、飯石、大原郡から米、鉄、木炭などを松江に運ぶために、土手の一部に舟を通すための水門をつくりました。
参考資料:現地掲示板、「斐川の地名散歩」 池田俊雄 1988 斐川町役場 |
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斐伊川流域には対岸の出雲市に来原岩樋等があります。 |
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| 吉岡 |
1909(明治42)年斐川町出身。1932年のロサンゼルスオリンピックの陸上100m6位入賞し、このとき優勝したアメリカのトーランが「深夜の超特急」と呼ばれていたのに対して、時差によって朝が早い日本の吉岡に「暁の超特急」という名が付きました。1935年には100m短距離で10秒3の当時の世界タイ記録をだし、短距離選手としては日本で唯一の記録ホルダーです。現役引退後は後任の指導に当たり、広島県教委保健体育課長を務めていた1952年には広島東洋カープの初代トレーナーも勤めました。 参考:山陰中央新報明窓2001年11月24日 |
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吉岡隆徳については辺見じゅん著の『暁の超特急』『夢、未だ尽きず』のほか、山陰さわやかステーションの「ありがとうございました」でインタビューの様子を聞くことができます。 |
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○伝統工芸品・特産物など
| 斐川町の特産品 (斐川町の特産品) |
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| チューリップ () ![]() |
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| 出西 (斐川町の特産品) |
斐伊川の伏流水がつくった肥沃な出西の土壌でしか生産できない出西しょうがは出西村が海に面していた遠い昔、九州から流れ着いた御神体を八幡宮として祭ったところ、やがてその杜の辺りに生姜が繁ったと言う言い伝えがあります。 この生姜を使って古くからつくられている生姜糖(平田市)も有名です。 |
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○個人・企業など
| JA斐川町 | ||
| 出雲いりすの丘 | ||
| 出雲村田製作所 | ||
| 直江街ProjectC | 直江町商店街を新しい街にしようと活動されている団体のホームページです。 | |
○市町村合併の動き
| 出雲地区任意合併協議会 | 出雲市、平田市、斐川町、佐田町、多伎町、湖陵町、大社町でつくる任意合併協議会です。 | |
| 湖西地域合併任意協議会 | 平田市、斐川町、宍道町でつくる合併協議会です。ちなみに宍道町はオブザーバーでの参加です。 | |
| 島根県 市町村合併 | 島根県内の動きはこのページが参考になります。また山陰中央新報の特集「平成大合併の動き」にも関連する内容があります。 | |
○役場を中心とした地図
マピオン版![]() |
1/21000、1/75000、1/15万の縮尺で見ることができます。ルートマップとしても使えます。 | |
地形図閲覧システム版![]() |
国土地理院が刊行している全国の2万5000分の1地形図を数値化した地形図画像を基に、閲覧用として単色化し、編集・加工されたものです。 | |