| 人口 | 152,606 |
人 |
| 面積 | 221.38 |
ku |
| 人口02年 面積99年調べ | ||
松江市 まつえし
| 松江市役所 | ||
| 松江商工会議所 | ||
| 松江市総合文化センター | 松江市立図書館とプラバホールについての情報が提供されています。プラバホールにはドイツ製のパイプオルガンがあります。 | |
| 松江市立病院 | とっさの時の応急処置のページでは常備薬や人工呼吸や急病の時の応急処置についてもまとめられています。 | |
| 松江市水道局 | ||
| 松江市ガス局 | ||
| 松江市交通局 | 松江市交通局で運行されている路線バスやレイクライン、ルイス・C.ティファニー庭園美術館&松江フォーゲルパークラインの路線図や時刻表を見ることができます。またぐるっと松江堀川めぐりについての情報もあります。「たびねっと松江」では観光・交通案内システムとして、乗り換え案内や運行状況についても調べることができます。 | |
島根県庁![]() |
島根県に関する情報が集まっています。部局別メニューを見ると情報や期間へのリンクがされていますので、参考になります。 | |
| 島根県議会 | 議会の仕組みや議事録の検索を見ることができるほか、会期中は本会議の中継を見ることができます。 | |
| 埋蔵文化財調査センター | 文化財の調査・研究や保護をしています。情報誌「ドキ土器まいぶん」を見ることができるほか、発掘情報や近くにある古曽志の丘古墳公園についての情報もあります。 | |
八雲立つ風土記の丘資料館![]() |
1972年の開館以来数多くの来館者と展示を行ってきた資料館です。主な展示品として重要文化財の |
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| 島根県立図書館 | 蔵書の検索がインターネットを使ってすることができます。また県内の図書館の住所や開館日についてもまとめられています。 | |
| 島根県消費者センター | 消費者トラブル事例ではQ&Aの形で実際の事例と対応の仕方についてまとめられているほか、クーリングオフや悪徳商法に関する情報も提供されています。また講座の紹介や視聴覚教材についても紹介されています。 | |
| 松江税務署 | ||
○学校
| 小学校 中学校 高等学校 特殊教育諸学校 大学・短大・高専 | ||
○遺跡・史跡・自然・人物
松江藩![]() 城見縄手と武家屋敷 |
堀尾家・京極家・松平家によって治められました。松平家は親藩ですが、堀尾・京極家は外様でした。松江藩の居城は、当初富田城(広瀬町)でしたが、堀尾吉晴によって水運に恵まれた松江の地を選び、標高29mの亀田山(現在地)に1607(慶長7)年から築城をはじめ1611年に完成し、以後松江藩の居城となる。 1866(慶応2)年の第2次長州戦争においては紀伊中納言を総督にして、先陣を浜田の松平右近将監、津和野の亀井隠岐守、備後福山の阿部主計頭が、後詰めを松江の松平出羽守、鳥取の池田因幡守が幕府軍として先頭は位置に着きました。しかし戦局は長州藩の攻撃に浜田藩が落城、大森代官所も逃走し1868(明治元)年には長州藩預かり地として支配されます。 1871(明治4)年に松江藩・母里藩・広瀬藩がそのまま3県になった後、同年合併し、浜田藩から移管された隠岐と併せて島根県になります。浜田県が編入されたのは1876年でした。 |
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松江城![]() |
松江藩の居城として、当初富田城(能義郡広瀬町)であったが、堀尾吉晴によって水運に恵まれた松江の地を選び、標高29mの亀田山(現在地)に1607(慶長7)年から築城をはじめ1611年に完成しました。 現在の天守閣は明治の時代に入って解体されるところを天守閣だけは出東(元簸川郡斐川町)の豪農、勝部 また1997(平成9)年から文化庁の承認を受けて中櫓、太鼓櫓と塀が復元されました。 |
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観光地としての側面ではなく、史跡としての側面からまとめられたサイトとしてはお城の旅日記やお城と戦国大名、あぜみちなどがあります。各サイトとも中国地方や島根県を選択して松江城のところをご覧ください。 復元については松江市文化財課の史跡松江城建造物復元にまとめられています。 |
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| 松平治郷(松平 (茶人 松平不昧の世界) ![]() 遺構と言われる明々庵
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松平不昧こと松平7代藩主 また藩内の美術工芸の振興も奨励し、陶窯では楽山窯、布志名 漆工では小島漆壺斎、木工では小林如泥らが不昧好みの茶器を制作した。菓子では「山川」「若草」「菜種の里」、お茶では「中の白」が生まれた。いずれも不昧の美意識を具体化したものだといいます。また不昧公が流祖の茶道の流派に不昧流があります。 19歳で参禅した不昧は 1772(安永元)年に江戸にある天真寺の大巓和尚に不昧の号を定めてもらう。出典は中国南宋時代の無門慧開禅師が著した「 松江市内には茶室の遺構として重文「菅田庵」、県指定文化財「明々庵」がある。東京の天真寺には隠居所山庵が移築されています。 |
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松江の和菓子については島根県菓子工業組合青年部会や彩雲堂で見ることができるほか、お茶については中村茶舗のサイトがあります。 茶道の流派については茶の湯倶楽部が詳しいです。 |
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| 小泉八雲 (ラフカディオ・ハーン) (八雲会) (根岸泰子のページ) ![]() 小泉八雲旧居 |
1850年にギリシャに生まれ、1869年にアメリカに渡ります。1880年にタイムズ・デモクラット社の記者になり、1890年来日、松江尋常中学校・師範学校の英語教師に任命されます。1891年には小泉セツと結婚し、熊本へ赴任し、1896年には帰化手続きをとり小泉八雲と名乗り帝国大学文科大学講師に任命され東京へ移ります。1904(明治37)年に没します。 「知られぬ日本の面影」「心」「怪談」など多くの著作を残していることでも有名です。 |
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富山大学・熊本大学・島根大学の各付属図書館が共同で造ったラフカディオ・ハーン・データベースでは各図書館の資料をデータベース化して提供しています。また富山大学付属図書館が所蔵する、八雲の蔵書を元に造られたヘルン文庫では「神國日本」の画像やテキストデータを見ることができます。他に小泉八雲探訪や松雄堂のサイトにある遊牧民ハーン ハーンの生涯とその交流は関田かおる編著『知られざるハーン絵入書簡』の序文より抜粋されたもので、誕生から晩年の八雲についてまとめられています。 松江市以外にある八雲の住居は、松江から1891(明治24)年に赴任したときの旧居があり熊本文学散歩 小泉八雲に紹介されています。また、1896年に帰化した後東京へ移り、避暑のために焼津で使った家が明治村に保存されています。小泉八雲と焼津には静岡県焼津市での出来事を中心にまとめられています。 |
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![]() 写真左側にある島が嫁ヶ島です。 |
大橋川を介して中海と連なる海水と淡水が混じり合う代表的な |
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宍道湖・中海の概要・歴史や水質などの基礎的な情報は県環境政策課の宍道湖・中海の湖沼環境、宍道湖の夕景に関しては国土交通省松江国道事務所が提供している宍道湖夕日スポット撮影情報、宍道湖七珍についての説明や調理法については中浦本舗の山陰 味の風土記にあります。 |
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(田和山遺跡・市文化財課) (田和山遺跡インデックス) ![]() |
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山代二子塚古墳![]() |
日本で初めて「前方後方墳」と名付けられた山代二子塚古墳は、墳丘の全長は94メートル、周りを巡る堀と堤を含めると約150メートルに及びます。さらに1997年に整備され県内最大の古墳の断面を見ることもできます。その近くにある「ガイダンス山代の郷古」では墳群の解説や見どころなどを映像で紹介しています。 | |
野津左馬之助 1867(慶応3)年〜1943(昭和18)年。教職を辞して後、1911(明治44)年から20年近くにわたって島根県史編纂委員として活躍する。その間に鹿足郡史、飯石郡史、大原郡史を手がける。島根県史編集の際、山代二子塚古墳に対して「前方後方墳」という名称を初めて用いたことでも知られる。 |
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| 古墳の丘古曽志公園 (埋蔵文化財調査センター) ![]() |
1991年に古代体験スポットとして開園しました。園内には築造当時に移築復元された全長45.5mの前方後円墳・古曽志大谷1号墳をはじめ姥ヶ谷古墳群や古曽志平廻田3号窯などがあります。 | |
出雲国分寺跡![]() |
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松江藩主松平家の菩提寺で、初代直政から9代斎貴までの墓があります。 | |
| 清原 (江戸時代の人工運河・佐陀川) ![]() |
1711(正徳元)年、島根郡白鹿城山下(現松江市)の農家に生まれる。1785(天明5)年より佐陀川の開削を開始し1788(天明8)年に川開きしました。しかし、太兵衛はその1年前に亡くなりました。 佐陀川によって今まで天神川、大橋川の二つしかなかった宍道湖の出口が増えることによって洪水を防ぎ、宍道湖の水位を下げ、沼地を水田へと換え、水運にも使われました。 |
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他にHNS人間自然科学研究所から周藤弥兵衛・大梶七兵衛に関する書籍も出版されています。 |
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| 一畑 (詳しくは→平田市) ![]() |
霊場や寺院への参拝の道しるべとして、道ばたに一丁(やく100m)毎に置かれていたのが一丁地蔵(丁石)です。一畑薬師周辺には4つの道に見ることができます。写真は周辺の4つの道のうちの一つ、松江市の秋鹿町から一畑薬師までの「一畑中道」の起点になるであろう位置なのですが、耕地整理のためにかつての道がはっきりしません。道標には「右 一畑中道」「左 大社」と「弘化 丙午」(1846年)と刻まれています。秋鹿から一畑薬師まで、ほぼ直線的に山道が続きます。その道ばたに一丁地蔵が70〜80基あります。 | |
| 人参方 (まるまる松江)「わがまちの風景」をクリック ![]() |
1825(文政8)年に薬用人参の製造、販売、管理をする人参方役所が設けられたことによります。また久志母里神社には薬の神様が祀られています。写真にあるのはかつての役所の門が今に残っています。 | |
| 梅謙次郎 (雑賀小学校) ![]()
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1860(万延元)年松江に生まれる。藩校の修道館に入りその後上京し苦学の末、東京外国語学校・司法省法学校を卒業後、司法省に入りフランス・ドイツに修学、帰国後東京帝国大学法科大学教授になります。 1890(明治23)年にボアソナードが想起した民法が公布されましたが、その施行を巡って断行派と延期派の間で民法典論争が展開されました。梅は断行派の中心人物として奮闘しましたが結果は延期派に敗れ、フランス民法の影響を強く受けたボワソナードの旧民法が廃止されました。明治民法は |
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民法論争などについては名古屋大学の加賀山茂先生のサイトの「民法」の部分にまとめられています。 1999年民法・商法施行100周年を記念して発行された郵便切手には1895(明治28)年に民法草案脱稿の際の記念として和服正装で撮影された写真(左から富井氏、梅氏、穂積氏)がデザインさています。また1952年には梅だけの切手も発行されています。 |
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| 岸清一 (雑賀小学校) ![]() |
1867(慶応3)年に生まれ、東京で弁護士として東京弁護士会の会長も務めます。1920(大正9)年には日本 また松江市には1939(昭和14)年床几山に遺族から土地が寄贈され「岸運動公園」ができました。しかし1955年に学校用地(現:松徳女学院高校)として売却されたのに伴い、白潟小学校の宍道湖岸一体を公園化し「岸公園」となりました。1995(平成7)年に白潟小学校は朝日小学校と共に中央小学校に統合され、その跡地に1999年島根県立美術館が建設されたのに伴い、元運動公園付近にあった石柱に由来を追記して移築されました。 |
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| 若槻 (雑賀小学校) (内閣制度と歴代内閣) ![]() |
1966(慶応2)年に松江で生まれ、1881(明治14)年からは現在の玉湯町立大谷小学校、出雲市立大津小学校で教員として勤め、その後東京の司法省法律学校、東京帝国大学へ進み大蔵省(現財務省)へ入りました。貴族院議員として大蔵大臣、1924(大正13)年からは内務大臣を務め普通選挙法を提案・成立させました。 1926(大正15)年〜1927(昭和2)年には第25代内閣総理大臣になります。この間、元号が大正から昭和に変わり、昭和恐慌のため総辞職しました。 1930(昭和5)年に行われたロンドン海軍軍縮会議に日本全権として参加します。翌1931年には第28代内閣総理大臣になりますが、この年満州事変が起こり、内閣の足並みが乱れ総辞職に追い込まれました。 島根県出身の内閣総理大臣には竹下登がいます。 |
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松江市内にある李白酒造は1882(明治15)年に創業しましたが、1928(昭和3)年に若槻礼次郎によって中国・唐の詩人であり、酒仙であった「李白」にちなんで命名されました。その後1930年にロンドン海軍軍縮会議の折りには |
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○伝統工芸品・伝統行事・特産物など
(宍道湖畔のしじみの学校) ![]() |
宍道湖で採れるシジミはヤマトシジミで、海水と淡水が混じり合う |
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| 黒田 (MYTOWN鳥取 )企画特集の「つくる 山陰 育てる」 ![]() |
松江城の西部にある黒田町で栽培され、1752(宝暦2)年に栽培の記録があり、現在は栽培農家で黒田芹出荷組合をつくり生産しています。地元では「黒田芹」と呼ばれていますが、「島根みどり」として岡山・神戸・大阪方面へ出荷されています。また芹の一大産地宮城県では「島根みどり」が生産されているほか品種改良した「みやぎVWD1号」も生産されています(宮城県農業・園芸総合研究所の研究トピックへ)。 | |
| ホーランエンヤ (ホーランエンヤ) ![]() |
ホーランエンヤという名で親しまれている、城山稲荷神社式年神幸祭。古くから 起源は、松江城主松平直政公が出雲国に入国して10年目(1648年)は天候不順で不作が予想されたので、城山稲荷神社の御神霊を その後、 金色の宝珠を中心に色とりどりの旗、のぼりをなびかせ、て松江市・東出雲町の5地区から繰り出す櫂伝馬船と呼ばれるおどり船を先頭に、神楽船、神輿船、お供の船などの船行列が延々と1kmにわたります。 |
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厳島神社については宮島町観光課に歴史などがまとめられています。祭りについてはRCCブロードバンドライブラリーでその様子を見ることができます。天神祭については大阪天満宮や天神祭 市民花火船に祭りの歴史などが説明されています。 |
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| 松江祭 (松江市鼕行列保存会) (松江の鼕) ![]() |
毎年11月3日文化の日に行われる行事です、 その原型は年の初めに行われた左義長の行事だと言われ、それが1915(大正4)年の大正天皇即位(御大典)の時の祝賀行事の一つとして町内毎に練り歩いていたものがそろって行列し、鼕も大きくなったと言います。 1977(昭和52)年に松江市に松江市鼕行列保存会が結成されました。 |
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| 大餅行事(おもっつぁん) (島根の山根のページ) |
大餅行事は2月初旬に秋鹿町高祖寺大日堂で行われる約1200年前から伝わるとされる伝統行事で、旧正月に一年の豊作と無病息災を祈願する行事です。行事のクライマックスは、藤葛で飾りを付けられた総重量約120kg、直径1m、厚さ15cmの餅を担いで走る場面です。 | |
| 出雲なんきん (いづもナンキン振興会) (出雲ナンキン) |
腹が大きく膨れ、背びれはなく、尾びれが四つに分かれており、白い体に赤いまだら模様が特徴です。1982年に島根県天然記念物に指定されました。松平不昧公が愛おしみ、家臣にも飼わせていたといいます。現在は全国に愛好家がいます。 | |
○個人・企業など
| 山陰中央新報 | 山陰両県で広く購読されている地方紙です。山陰地方の特集記事を見ることができるほか、2003年の夏に開催されるNIE(教育に新聞を)に関する情報も提供されています。 | |
山陰中央テレビ(TSK)![]() |
松江市に本社があるテレビ局です。 | |
NHK松江放送局(JOTK)![]() |
1階ロビーが開放され、自由に見学することができます。テレビとラジオのAM・FM局です。 | |
日本海テレビ(NKT)![]() |
本社は鳥取県鳥取市にあり、松江市には支社があるテレビ局です。 | |
山陰放送(BSS)![]() |
本社は鳥取県米子市にあります。テレビとAMのラジオ局です。 | |
FM山陰(JOVU−FM)![]() |
松江に本社があるFM局です。 | |
| 山陰ケーブルビジョン | ||
| 島根レスキューサポート・バイクネットワーク | ||
| 出雲の語り部 | 松江市で出雲の民話の語り部として活躍しておられる秦信夫さんのサイトです。講演スケジュールや実際の民話を読むこともできます。 | |
○市町村合併の動き
| 松江・八束合併協議会 | 松江市、鹿島町、島根町、美保関町、八雲村、玉湯町、宍道町、八束町でつくる合併協議会です。
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| 島根県 市町村合併 | 島根県内の動きはこのページが参考になります。また山陰中央新報の特集「平成大合併の動き」にも関連する内容があります。 | ||
○役場を中心とした地図
マピオン版![]() |
1/21000、1/75000、1/15万の縮尺で見ることができます。ルートマップとしても使えます。 | |
地形図閲覧システム版![]() |
国土地理院が刊行している全国の2万5000分の1地形図を数値化した地形図画像を基に、閲覧用として単色化し、編集・加工されたものです。 | |