| 人口 | 8,653 |
人 |
| 面積 | 178.64 |
ku |
| 人口02年 面積99年調べ | ||
仁多郡仁多町 にたちょう
| 仁多町役場 | ||
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「可部屋」の屋号で鉄山を経営した櫻井家に伝わる民俗資料、美術品、庭園などが公開されています。近くには櫻井家が経営をしていた、槙原たたらに残されていた製鉄施設たたら角炉伝承舘とその周辺施設が再現されています。 | |
たたら製鉄の歴史や方法などの基本的なことについては日立金属のたたらの話が大変参考になります。関連する施設や遺構などは安来市・広瀬町・大東町・仁多町・横田町・吉田村で見ることができます。また、上記6市町村は共同で鉄の道文化圏という事業を進めており、それぞれの市町村のイベントや観光情報なども紹介されています。 |
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| 奥出雲多根自然博物館 | ||
| 雲南広域連合 | 雲南広域連合は、1999(平成11)年に介護保険の共同実施と雲南地域(飯石郡・大原郡・仁多郡の10町村)の広域的な地域振興事業の実施を目的につくられました。サイトには介護保険制度の解説から、保険料の支払い方、認定、保険給付についての情報や観光情報も提供されています。 | |
○学校
| 小学校 中学校 仁多郡内の高等学校 | ||
○遺跡・史跡・自然・人物
鬼の舌震![]() |
馬木川の急流による浸食でできた渓谷で、断崖や巨岩怪石が約3kmにわたって広がり、紅葉の名所として四季折々に変化する風景が親しまれています。 出雲風土記に由来すると言われ、阿伊(現在の馬木)の里に美しい姫が住んでおり、この姫を慕って日本海に住む悪いワニが夜な夜な川を遡ってきましたが、姫はこのワニを嫌って大岩で大木馬川を堰き止め、姿を隠しましたが、ワニの姫に対する気持ちは変わらず、その後も幾度となく川を遡ってきたと記されています。この“ワニの慕ぶる”が転化して鬼の舌震と呼ばれるようになったといわれています(参考:仁多町の観光) 。 |
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三沢城![]() |
三沢氏280年間の本城。険しい山を利用した軍事要塞で、城主は普段、生活に便利な平地に居館を構えて暮らしており、三沢城の場合は東に1200m離れた原田地内にありました。 尼子・毛利両氏の覇権争いの中、1589(天正17)年、三沢為清の子、為虎が安芸に下向するまで、三沢は政治・軍事の拠点として仁多郡に重きをなしていました。尼子氏の本城月山富田城(広瀬町)の防衛網として出雲国中に配置された尼子十旗と言われた10の要砦(白鹿、三沢、三刀屋、赤穴、牛尾、高瀬、神西、熊野、真木、大西)の一つです。しかし江戸時代となってから一国一城令によって三沢城は廃止されました。 為虎はその後、長州厚狭郡に居を構え、1590(天正18)年の小田原城攻めに参陣、1597(慶長2)年の朝鮮にも出陣している。1600(慶長5)年の関ヶ原の戦いには毛利輝元・秀元の請いにより赤間関警備の大任を勤める。その後毛利氏は長府に移封され、御付家老としてその地にとどまった。 |
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たたら角炉伝承舘![]() |
櫻井家が経営していた、槙原たたらに残されていた角炉と周辺施設を修復したものです。たたら製鉄自体が、連続操業が可能な高炉を使う近代の洋式製鉄法に対抗できず衰退しつつあった時期に、たたら製鉄に様式の製鉄法を取り入れた角炉による製鉄が行われていました。その違いは粘土で造っていた炉をレンガで造ることによって連続操業ができるように改良された点です。 | |
| 村上吉五郎 (亀嵩小学校) (雲州算盤協同組合) ![]() 村上吉五郎の公徳碑 |
1787(天明7)年に大工、覚三郎の子として生まれます。二人の兄も大工で吉五郎は父の元で修行し、1808(文化5)年には京都の東本願寺の修理にも参加し、帰郷して後火事で焼けた 現在は横田町と仁多町の亀嵩で生産されるそろばんです。播州そろばんととともに全国的に有名です。 |
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砂の器![]() 湯野神社の前にある砂の器の記念碑 |
松本清張の小説『砂の器』の中で亀嵩という地名が事件解決の鍵として登場しています。また1974年には映画化され、仁多町内を中心横田町、大東町などで撮影が行われました。これらを記念して1983年に亀嵩にある湯野神社前に記念碑が建てられました。 | |
松本清張は1909(明治42)年福岡県に生まれ、1952年に『或る「小倉日記」伝』で第28回芥川賞を受賞します。「点と線」「日本の黒い霧」「砂の器」などの作品を著し、1992年に没します。 松本清張については松本清張記念館に詳しいです。映画のロケ地については出雲・石見・伯耆の国にまとめられています。 |
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| 高田・常楽寺古墳 () ![]() |
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| 下鴨倉遺跡 () |
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○伝統工芸品・特産物など
| 雲州そろばん (雲州算盤協同組合) |
亀嵩そろばんを有名にしたのは村上吉五郎で、始まりは1813(文化10)年とも言われていますが、現存する最も古いそろばんは1832(天保3)年のものがあります。吉五郎算盤は横田村樋ノ口の仲介人の手によって京・大阪にも売られていた。しかし、吉五郎の技法は一子相伝とされ量産しなかったが、1864(元治元)年頃から技法を公開し、弟子をとるようになり生産量も増えました。 現在は横田町と共に生産されています。 |
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| 仁多牛 (島根県立種畜センター) (糸櫻牛肉のアオキ) ![]() |
古くから牛との関わりが深く独特の飼養管理が確立され、肉質、増体を兼ね備えた良質な仁多牛として全国に知られるようになりました。特に改良の歴史の中で多くの優良牛を土台とした第七糸桜号の母牛は仁多町三成の産で、1970年に横田町で生まれました。(掲示板を参照) | |
| 仁多米 (奥出雲仁多米株式会社) |
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| 菌床しいたけ | 1970(昭和45)年からほだ木による生しいたけの栽培に取り組み始め、1986(昭和61)年より、人工のほだ(菌床)による生しいたけのハウス栽培が始まった。以後順調に生産を続けている。それに関連した施設の建設も行われている。 | |
○個人・企業など
| 仁多乃炎太鼓 | ||
| アットマーク雲南 | 島根県雲南地方の飯石郡(三刀屋町・掛合町・吉田村・頓原町・赤来町)、大原郡(木次町・加茂町・大東町)、仁多郡(仁多町・横田町)のホームページを中心とした 地域限定の情報サイトで、企業・行政・観光などの情報がまとめられています。 | |
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○市町村合併の動き
| 仁多郡二町合併任意協議会 | 2003年1月に設立された仁多町、横田町でつくる合併任意協議会です。 | |
| 雲南広域町村合併研究会 | 仁多町、横田町、大東町、加茂町、木次町、三刀屋町、吉田村、掛合町、頓原町、赤来町でつくる合併研究会です。 | |
| 島根県 市町村合併 | 島根県内の動きはこのページが参考になります。また山陰中央新報の特集「平成大合併の動き」にも関連する内容があります。 | |
○役場を中心とした地図
マピオン版![]() |
1/21000、1/75000、1/15万の縮尺で見ることができます。ルートマップとしても使えます。 | |
地形図閲覧システム版![]() |
国土地理院が刊行している全国の2万5000分の1地形図を数値化した地形図画像を基に、閲覧用として単色化し、編集・加工されたものです。 | |