1951年学習指導要領一般編(試案)


T,教育の目標 1.教育の目標を定める原理  教育は、児童・生徒の成長発達を助長する営みである。したがって教育目標は、児童生徒の個人的、社会的 必要をよく考えて定められねばならない。この必要は、次の三つの点から考えてみることができる。  第一は、児童・生徒が、生物として本来もっている必要である。たとえば、人間が飢えたときには食物を求 める。疲労したときには休息を求める。よく休んだ後には活動を求める。眠たいときには眠りを求める。寒け れば暖かさを求める。性的な目ざめが起きれば異性を求める。その他人間が生命を維持してゆく上に充足され ねばならないいろいろな必要がある。これらの必要を満たそうとするところに人間の活動が生まれる。児童・ 生徒は、これらの生理的な必要を社会的に望ましいしかたで、どのようにして満たしたらよいかを学ばねばな らない。この必要は、生物としての人間の分析から発見されるものであって、あらゆる形態の社会に通ずる基 本的な必要であるといえる。  第二は、発達過程における児童・生徒が、その発達に応じて必要とする考えが、その発達に応じて必要とす ると考えられる必要である。いいかえれば、児童・生徒みずからが潜在的にもっている必要である。児童・生 徒は、全体として人格的に発達しつつあり、そこにいろいろな必要が考えられるが、今かりに、身体的、知的、 社会的、情緒的の四つの方面に分けて、これらの必要を考えてみると、およそ次のような必要が考えられる。 身体的発達の事実から生ずる必要としては、栄養や運動、適当な休息、身体の清潔、病気や危険に対する保護 などが考えられ、知的な発達の事実から生ずる必要としては、各領域にわたる広い深い経験や知的な活動が考 えられ、社会的発達の事実から生ずる必要としては、自己確立するとか、友達仲間に加わるとか、学校や地域 社会の生活、さらに大きくは一般社会生活が有効に営めるとかいった社会的な発達のための助力を必要とする。 情緒的発達の事実から生ずる必要としては、美的な経験や安定感・成功感などが与えられることの必要が考え られる。もちろん、ここに分けて述べたこと以外に、人格として円満な発達をし、健全な、力強い、気持ちの よい人間となるためのいろいろな助力を必要としているといえる。そして、これらの必要の発見は、児童心理 学や青年心理学の研究および、教師が直接に児童や生徒を観察して、かれらを理解することによってなされる。  第三は、児童・生徒は現在および将来の民主的な社会の構成員として、民主的な社会のいろいろな価値や、 それを実現する方法を学ぶ必要がある。という場合の必要である。例えば、児童・生徒は、自己および他人の 権利と個性を重んじるとともに、個人に自由が保障されている社会にのみ価値の高い文化が創造されるという 考えをもち、それを創造する能力を発達させる必要があるとか、あるいは、自国の伝統と現状について正しい 理解をもつとともに、世界平和のために国際的強調の大切なことを理解する必要があるとか、あるいは、民主 的原理によって問題を創造的に解決することを最前と考え、そのような実行をすることの必要があるとか、生 活上の問題を処理したり、生活を豊かにしたりする技能を身につける必要があるとか、自己や社会の健康を増 進するための知識や技能を修得したり、勤労を愛好する態度を養う必要があるとか、といったもろもろの必要 が考えられる。これらの必要の発見は、日本国憲法・教育基本法・学校教育法、その他の法規の研究や、さら に現在の社会の動向や問題の考察、社会発達の私的な見通しなどによって得られるであろう。  最後に述べた児童・生徒の必要は、児童・生徒は、現在および将来の構成員として、知識や技能、あるいは 行動のしかたにおいていまだ未熟であり、欠けているから、未熟なものを発達させ、欠けているものを満たし ていくべきであると成人が考えているものと一致するから、時に社会の必要とも呼ばれている。しかし、社会 の必要という場合、児童・生徒の立場を忘れて、狭い視野からこれを強調する場合は、教育的に望ましくない いわゆる社会的要求を児童・生徒に強制するといったことも起こる。社会の必要ということばを用いる場合も、 われわれは、常に教育的にこれを考えていく用意を忘れてはならないのである。  また、児童・生徒の必要の一つとして、児童・生徒の興味や、その時々の欲求や願望を考える人もある。こ れも教育の目標を考える場合にわれわれが参考とすることはできるが、しかし、これは主として実際指導の場 面において、教材の選択や、学習指導法を考える場合にじゅうぶん考慮すべき事がらであると思う。  さて、以上述べた三つに分けた必要の分析から生まれる教育の目標には、理想として追求せられるような遠 大なものから、日々達成すべききわめて身近なものまで、各種段階のものが含まれることになろう。今これを 一般化して、国民一般の教育についての具体的な目標を次に考えてみよう。

1951年,小学校学習指導要領社会科編(試案)

第1章,社会科の意義  社会科は、児童に社会生活を正しく理解させ、同時に社会の進展に貢献する態度や能力を身につけさせるこ とを目的とする。すなわち、児童に社会生活を正しく深く理解させ、その中における自己の立場を自覚させる ことによって、かれらがじぶんたちの社会に正しく適応し、その社会を進歩向上させていくことができるよう になることをめざしているのである。  そのためには、社会生活を児童の現実的な生活から切り離し、いわばかれらから離れてて向こうにあるもの として、その必要や関心の有無にかかわらず、断片的に学習させ、社会に関するさまざまの知識をもたせると いうようないき方をとらずに、かれらが実生活の中で直面する切実な問題を取り上げて、それを自主的に究明 していくことを学習の方法をすることが望ましいと考えられる。  なぜなら児童がかれらにとって切実な目的と必要と関心によって自主的に社会生活を究明してはじめて、も ろもろの社会事象がかれらにとってどのような意味をもつかが明らかとなり、したがって、これに対するかれ らの立場も自覚されてくるからである。しかもこのような問題解決の過程に通じてこそ、じぶんの生活の中に つねに積極的に問題を見いだしていこうとする態度や、共同の問題のためにじぶんの最善を尽くして協力しよ うとする態度、したがって絶えずかれらの生活を進歩向上させていく能力をも、真に身につけることが期待で きるのである。すなわちこのような方法によってのみ、社会生活の理解や、その中におけるかれらの立場の自 覚や、これに適応し、これを進歩向上させていく態度や能力が、個々別々のばらばらのものとしてでなく、そ れぞれの児童なりに統一されたものとして、かれらのものになっていくのである。  児童がその生活の中で直面する問題は、それが一見ささやかなものであっても、社会生活における具体的な 問題である以上、直接にせよ間接にせよ、あらゆる社会事象に関連をもっている。したがって、それらの問題 を解決しようとして、深く究明していけば、学習はおのずから社会生活の広はんな領域に及ぶはずである。学 問的な分類でいえば、倫理学・政治学・経済学・社会学・地理学・歴史学等の基礎になるもろもろの社会事象 が学習の領域におのずからはいってくるのである。しかも先に述べたように、単にこれらを知的に理解させる ようにとどまらず、つねに児童の切実な必要に結びつけることによって、理解と、態度と、能力とを一体にな るように身につけさせようとするところに、社会科が児童の現実生活で直面する問題の解決を中心とした学習 のしかたをとることのねらいがあるのである。  社会科のこのような特質をいっそうより理解するためには、かって小学校で修身・国史・地理の三科によっ て上にあげたような諸領域に関する学習が行われていた当時の学習形態と社会科のそれとを比較してみること が便宣であろう。  修身科の学習内容は、徳目を中心にして組織され、それらの徳目は主として教科書の購読・格言の暗誦・教 師の訓話などによって教えられていた。しかしいくつかの徳目を別々に取りあげて、観念的な理解を得させる だけでは、人格の統一的形成は期待できないであろうし、またかつての修身教授がしばしば陥っていた注入的 な教え方によっては、人間性を内面から開発して、自主的に判断し行動する能力を養うことは望み得ないであ ろう。  またそれらの徳目を具体的に理解させるために、主として例話が用いられていたのであるが、例話は、過去 における特定の人物の事態における行為の例であるから、取りあげる観点の可否は別として、それが児童の心 情をゆり動かす力をもつことは認められるにしても、その前提として、児童が積極的な関心をもち、必要を感 じているということ、したがって児童が自主的な態度で批判的にその例話を活用するということがないかぎり、 児童が将来において、おのおの現実の事態に対処していくための判断力や態度の基礎をつくることのためには、 さほど効果のないものではないであろう。  児童を、時と所とに応じて異なる具体的な事態によく対処させることのできる望ましい判断力や態度は、か れらが生活の中で出会う個々の具体的な問題を正しく解決しようとする努力の中において最もよく養われるで あろう。もちろんその場合、そのような判断力の基礎として、社会生活についての広く深い理解、たとえば社 会の中で人々がお互いにどのように関係し合い、社会がどのような機構の下に、どのように動いているかなど の認識が必要であることはいうまでもない。現実の社会生活の中にある種々の相互依存関係について、それら の関係がどういうふうに、またどういうわけで成立しているのかを明らかにするという社会科のねらいの重要 性は、まさにここにあるといってよい。しかも学習をこのような問題解決として考えていく場合、社会生活を 地理的・歴史的に考察することもまた、自然にその中に含まれざるをえなくなるのは当然のことであろう。  したがってこのような社会生活の理解が、真に児童の現実の問題に対処する判断や態度の基礎となるために は、それが一からまとまった知識の体系として児童に与えられるのではなく、児童が直面する問題の解決を通 して、みずから獲得するのでなくてはならないであろう。おそらくそのような知識も、児童自身の生き生きし た具体的な経験の一環として獲得されてはじめて、真に児童のものとなり、正しく使いこなされうるものとな ると考えられる。知識と行動、したがって知的なるものと実践的なものとが一体となり得ず、ばらばらであっ たということは、これまでとかく陥りやすい弊であったといわなくてはならない。  ところが過去の地理科や国史科をふりかえってみると、もちろんそれは単に知識だけを与えることを目標と していたわけではないが、そこで用いられていた方法が、一応体系的に整えられた内容を、主として教科書の 項を追って学習させるいう行き方であったために、おもに知識のみが与えられる結果となり、とかく記憶され た知識の量の多少によって教育の成果を測るような弊に陥ったことはだれしも認めるところであろう。知識を 豊富にもつことは決して価値のないことではないが、児童が必要に迫られて獲得したのではなく、注入されて 受動的に得た知識には、児童が使いこなすことなく終わるものも多いし、したがってそのような知識は時がた つとともにしだいに忘れ去られてしまうということも動かし難い事実である。むしろここで重んぜられなくて はならないのは、そのような知識ではなくて、現実の問題を解決するのにぜひとも必要と考えられる根本的な 能力、すなわち地理的に、また歴史的にものごとを見たり考えたりする能力であろう。当面する問題のもって いる地理的条件や、歴史的観点から解決をよりよきものとしていく力であろう。たとえば地理に関しては、人 々の生活とその土地の地理的条件とがどのような関係にあるか、人々はその土地の地理的条件のもとに、かれ らの生活上の問題をどのように解決しているか、地域を異にする人々は、かれらに共通な人間的欲求を満たす ためにどのように依存し合っているかなどを考察する能力が重要であり、歴史に関しては、人々の生活は時代 とともにどのように変わってきたか、なぜそのように変わってきたか、わたくしたちの先人は、かれらが直面 した問題をどのように解決してきたか、先人の残した文化遺産の中で、どのようなものは今後も尊重し生かし ていくべきか、などを考察する能力が重んぜられなくてはならないであろう。知識もまた、このような能力に まってはじめて、真に正しく活用されうるものとなり、かつより深く、より豊かなものになることができるで あろう。したがって児童に習得させるべき基礎的知識を考える場合にも、このように地理的、歴史的に人間生 活を見たり考えたりする場合に必要になってくる基本的な知識、いわばそのような場合に武器ともなるべきも のを、第一義的なものとして重んずべきであると考えられる。  従来の修身科・国史科・地理科が先に述べたような弊に陥ったのは、結局それらが、伝統的な徳目の型に児 童をはめようとしたり、地理や歴史に関する一応の知識を児童に与えようとしたりすることにとどまって、現 実の問題を解決するための能力や態度を養うことに重点を置いていなかったからであると考えられる。  もしこのような能力や態度の養成を目的とするならば、その指導方法は根本的に改められなくてはならない であろう。すなわち児童がその生活において直面する問題の解決を中心とする学習のしかたに改められなくて はならないであろう。しかも道徳的な判断力や態度も、地理的、歴史的な見方考えかたも、それらがお互いに 結びあう問題解決の過程において養われるのが効果的であるとするならば、これら三教科が分立するよりも、 それらが本来自然に結びついている現実的な問題の性格にしたがって、社会科の単元学習の中でそれぞれのね らいを実現しようとする立場をとることこそ、当然の成り行きというべきであろう。社会科の指導にあたって は、つねにこの点にかんがみて、指導のねらいが社会科の筋みちを逸脱しないように気をつけることがたいせ つである。 第2章,社会科の目標  前章に述べた社会科の目的を達成するためには、次のような目標によって指導を行うのが望ましいであろう。 一、自己および他人の人格、したがって個性を重んずべきことを理解させ、自主的自,律的な生活態度を養う。 二、家庭・学校・市町村・国その他いろいろな社会集団につき、集団内における人と,人との相互関係や、集団  と個人、集団と集団との関係について理解させ、集団生活への適応とその改善に役だつ態度や能力を養う。 三、生産・消費・交通・通信・生命財産の保全・厚生慰安・教育・文化・政治等の根本的な社会機能が、相互  にどんな関係をもっているか、それらの諸機能はどんなふうに営まれ、人間生活にとってどんな意味をもって  いるかについて理解させ、社会的な協同活動に積極的に参加する態度や能力を養う。 四、人間生活が自然環境と密接な関連をもっていることを理解させ、自然環境に適応し、それを利用する態度や  能力を養う。 五、社会的な制度・施設・習慣などのありさまと、その発達について理解させ、これに適応し、これを改善して  いく態度や能力を養う。  学習指導の実際にあたっては、これらの根本的目標をさらに具体化し、活用しやすいものにしていかなくて はならない。あとに示す学年目標も、これらの目標を、各学年の児童の経験の発達に応じて具体化してつくっ たものである。しかし教師は、いかに具体化した目標をもっていても、絶えずこれらの根本的目標を念頭に置 き、学習の方向を誤らぬようにすることがたいせつである。  上記の具体的目標は、社会科の指導に関するすべてのねらいを包含したものである。すなわち理解・態度・ 能力に関するねらいがすべてこの中に含まれているといってよい。  しかしながら、これだけでは、後に挙げる学年の目標と合わせて、理解に関する目標をとらえることは比較 的容易であるとしても、態度および能力に関して社会科でねらっているものを、具体的にとらえることは困難 であろう。もともと、理解・態度・能力の三者は切り離すことのできないものであるが、教師の指導の周密を 期するためには、社会科でねらっている態度や能力を特に取り出して、もっと具体的に考えてみる必要がある。 もちろん社会科で養いたいと考える望ましい態度や能力、特に態度は、単に社会科のみでねらわれるべきもの ではなく、他のすべての教科の学習の際においても、またそのほかの、学校生活におけるあらゆる機会、あら ゆる場面においても、養うことのできるものである。けれども社会科は、人間生活・社会生活に対する正しい 理解を得させることによって、これらの態度の裏づけをし、たえず統一のある生活態度を進展させるという使 命をになっている点で、道徳教育に関する特別な使命を負っているということができる。  社会科で養おうとする態度は、いうまでもなく民主的な社会生活における人々の道徳的なありかたにほかな らない。したがってそれを究明することは、同時に社会科における道徳教育の観点を明確にすることにもなる であろう。  社会科では次のような観点に立って、望ましい生活態度を育成しようとする。 第一に、豊かで重厚な人間性を育てることである。そのためには次の諸点が主たるねらいになるであろう。 ・人格の尊厳を理解し、自他の権利を尊重すること。 ・人間的な欲求を積極的に充足しようとすること。 ・自由を愛好し、したがって他人の自由を尊重すること。 ・個性を重んじ、寛容な態度で人に接すること。 ・いかなる場合にも最善を尽し、決して希望を失わないこと。 ・純粋で豊かな愛情を生活にしみわたらせること。 ・平和を愛し、真理探究の意欲をもつこと。 ・普遍的人間性の立場に立ちながら民族的なほこりをもつこと。 第二の観点は、統一のある生活態度を形成することである。そのためには下に挙げる諸点が主たるねらいにな るであろう。 ・絶えずじぶんの考えを検討し深くつきつめ、純粋で統一のあるものにしようと努めること。 ・自発性に富み、自主独立の精神をもつこと。 ・無条件に既成のものにとらわれることをしない批判的態度を確立すること。 ・自律的で言ったり行ったりすることに一貫性があること。 ・強固な信念をもって考え、かつ行動すること。 ・絶えず自己を向上発展させるため、謙虚に他に求める態度をとること。 第三に、上の観点を根底として、清新で明るい社会生活を営む態度を養うことである。そのためには次の諸点 がおもなねらいとなるであろう。 ・建設的な意欲をもって協力すること。 ・社会連帯の意識に基づき、強固な責任感をもつこと。 ・正義に対する鋭敏な感覚をもつこと。 ・法や規則をじぶんたちのものとして尊重するとともに、合法的なやり方でそれを改善する努力をはらうこと。 ・民主的生活に必要な礼儀を守り、尊敬や感謝の念をもつこと。 ・勤労を尊び、社会に寄与するに足る健康を保持すること。 ・慰安と休養とを正しく活用すること。 ・生活に潤いを与える美的情操をもつこと。  いうまでもないことではあるが、ここにあげた諸点は、主要な観点も細部の諸点も、互いに関連し合い、重 なり合っていて、その性格上個々別々に切り離して児童の身につけていくということのできないものである。 児童の生活を通じて、なかんずく生活上直面する問題の解決を通じて、総合的に身につけされるのでなければ、 決して正しく実現することのできない事がらである。その意味において、以上の観点につき、その主眼とする ところに若干の説明を加えてみるのも有意義なことであろう。  まず第一に強調すべきことは、人間的であるということが大きな価値をもつということである。人がそれぞ れの個性をもち、人間としての当然の欲求を充足して、自己の幸福を追求しようとすることは、あくまでも正 しいことである。人間性を無視したわくをつくって、それを抑圧しゆがめ、表裏のある暗い生活態度をつくり だすことこそ、責められるべきである。自己を積極的に主張しようとする態度は、個人にとっても、社会にと っても、あらゆる進歩向上のかぎだといわなくてはならない。  もちろん、そのような自己の主張も、それが共同生活を傷つけ破壊するという場合には、その限りにおいて、 みずから進んで欲求を制御することが必要になってくる。その意味においては、自己を完全に統御しうるとい うこと、すなわち自主的自律的な統一のある生活態度を確立するということが、なによりも重大である。もち ろんそのためには、自他に対する批判的態度がじゅうぶん身についていなければならぬことはいうまでもない。 このような自主的態度を確立しているということは、民主的な社会を形成する人間の備えるべき根本的な条件 である。自主的な人間にしてはじめて、形式的なわくにとらわれず、あらゆる要素を弾力的に活用し、使いこ なすということができる。例えば、規則を守ることについても、規則のための規則というような、とらわれた 立場に立つことなく、真に規則のもつ精神を生かして、本来の目的を達することができるのである。  しかし、さきにも触れたように、上に述べてきたような態度の形成は、自主的な問題解決を通じて、はじめ て行われることである。したがって、そのような問題解決を正しく行うことのできる力は、すでに道徳的に大 きな価値をもっているといわなくてはならない。これまでしばしば述べてきた、実践的なものと知的なものと の切り離し難い自然な結びつきということも、この点について考えれば明確に理解されるであろう。  そこで第四の観点である創造的な問題解決に必要な力を養うことがたいせつになってくる。そのためには次 のような諸点が主なねらいとなるであろう。 ・あくまでも真実を追求してやまないこと。 ・広い視野で問題をとらえ、その核心をつくことにより、能率的で有意義な解決をは,かる力をもつこと。 ・ものごとを具体的総合的に考え、現実を生き生きととらえること。 ・科学的知性を備え、客観的、合理的な判断をすること。 ・仕事に没頭しながらも、たえず独断偏執や形式化を排除すること。 ・事態の急変に正しく対処することのできる沈着機敏な思考と決断の力をもつこと。困難に屈しない強じんな  意志と持久力をもつこと。 ・つねに積極的な態度を持し、ゆたかな実践力をもつこと。 次に以上のような観点にささえられたものとして、社会科ではどのような能力を養おうとしているかというこ とについて、さらに具体的に述べてみたい。  先にもいったように、能力を理解や態度から切り離して考えることは、本来不可能なことであるが、教師の 指導上の便宣のために、一応これを取り出して考えてみることにする。,第一に、問題を客観的、合理的に解 決する能力を養わなくてはならない。そのためには、上述した問題解決に必要な力を養う観点を根底として、 次の諸点が主なねらいになるであろう。 ・問題の所在を明確につかむ能力。 ・問題解決の計画をたてる能力。 ・必要な限り広い範囲の資料を集め、これを総合的に駆使して問題解決に資する能力。これに関して、たとえ  ば次のような具体的な能力が養われなくてはならないであろう。  参考書利用の能力、−必要な参考書を捜したり、目次、索引などによって参考書の,中の必要な箇所を捜す能  力などを含む−、統計をとったり、統計を読んだりする能,力、地図や歴史年表をつくったり、利用したりす  る能力、地図や歴史年表をつくっ,たり、利用したりする能力、見学や面接によって必要な知識を獲得し、そ  の要点を,メモにとる能力など。 ・資料の正確不正確、調査方法の適否などを検討し、客観的、合理的に研究する能力。,第二に、集団生活を民  主的に営むための基礎的能力を養わなくてはならない。これに属するものとして次のようなものが考えられる。 ・協同して計画をたてる能力。 ・討議を建設的に進める能力。 ・討議の座長をつとめる能力。 ・適切なリーダーや代表者を選ぶ能力。 ・規則をつくったり改善したりする能力。 第三に、生活を豊かにかつ能率的にするために、社会の諸施設を愛護し、有効に利用する能力を養わなくては ならない。たとえば、交通・通信・保健・文化・産業その他に関する現代の進歩した施設を活用できるような 能力を養わなくてはならない。  教師は以上述べたような態度や能力を、社会科の学習のどのような機会と場面とにおいて養うことができる かということを、つぶさに研究するとともに、それらが、各学年の児童の発達に応じて、どの程度まで養われ うるものであるかということをも研究して、むりのない、しかも周到な指導を行わなくてはならない。しかも 真の成果をあげることは、短時日によく期待しえないのであるから、あくまでもあせらず、根気よく児童の成 長を助けることこそ、教師に与えられた任務である。